「西の魔女が死んだ」レビュー

出演:サチ・パーカー、高橋真悠、りょう、大森南朋高橋克実木村祐一、他

あらすじと感想

この映画は、予告編を見ている人は知っていると思うが、予告編の映像の通り始まります。
中学三年生になった、まい(高橋真悠)に、おばあちゃん(サチ・パーカー)の訃報が届く。
そして、2年まえに話はさかのぼる。
中学一年生のまい。同世代の周囲の人とうまくとけ込めず、一人仲間はずれになってしまった。もう、学校には行かないという。そんな まい をママ(りょう)は、まいのおばあちゃんにしばらく預けることにするのだった。
そこで、おばちゃんの家系が代々魔女を生んでいたことを知る。そして、「魔女修行」を始めるまい。豊かな自然に囲まれ、魔女修行を通し、自分自身を素直に見つめ直すことを始める まい。そこで、出会う 郵便屋(高橋克実)さん、ゲンジ(木村祐一)。ゲンジにたいする思いは、いかにも思春期の少女らしい、潔癖さのアンチテーゼとして描かれている。
魔女修行を続ける中、温室のなかで育ったいく「キュウリ草」に対し特別な思いを寄せるまい。
ゲンジのことでおばちゃんとけんかしたまま別れることになったまいはおばあちゃんがなくなった後、後悔の念にとらわれていた。その思いを救ったのは、おばちゃんが約束したある一つの言葉だった。

 淡々と描写される自然とまい、おばあちゃんとの生活。なんでも自分で決めることが大事と言われ、自分自身と周囲との関係を正しく見つめ直す機会を徐々に取り戻していくまい。その中で、映画を見ている人は、いつの間にか、まいの視点で、ゲンジをおばちゃんをそして、豊かな自然を見つめている。中学生の心理などとっくの昔にわからなくなったと思っていたのだが、この素直な感覚に新鮮な驚きを感じた。
おばちゃんとの約束は温室の中で果たされていた。その場面をみて、言葉にならない感情がこみ上げてきた。この場面で泣き出す人がいた。
描かれているシーンは先ほど述べたとおり、淡々としたモノが多い。激しいシーンや、大声を出したり、いかにも、人の感情を高ぶらせる台詞もない。それにも、関わらず人の心に深く届くのは、描こうとしているモノ、それが、人の生、死、そして、生き方など根幹に関わることなどだからか?このことについては、見終わってしばらくたつが、まだ整理仕切れていない。これは、人それぞれで感じ方の異なることだろう。今思い返してみても、しみじみとしたすがすがしさの残る視聴感は好ましいモノだ。ぜひ、親子で見てほしい映画でもある。

 今回自分のレビュー記事を振り返る意味で、映画レビューをなさっている方の記事を読んでみました。
オールマイティにコメンテート
 この映画のレビューを書こうとしている人は参考になるのでは?
 内容的に充実のレビューです。私とは切り口が異なりますが、こちらでは、ご自身の登校拒否の経験を交えてレビューされてます。こういう、レビューを読んで自分自身反省するんですが、私自身、商業誌の映画レビューを読み過ぎている分、どうしても、映画の紹介的なスタンスに偏ってしまう傾向にあるんです。本来、個人のレビューですから、自分自身と照らし合わせた内容をもっと出していいとわかってはいるんですが。こういうことが、今後の課題かなと感じてます。コメント欄間違って2回書き込んでしまいました。申し訳ありません。